2017年 05月 18日
高松塚古墳とキトラ古墳の壁画見学 |
高松塚古墳とキトラ古墳の壁画が同時期に公開されたのでダブル見学に出掛けました。
高松塚古墳壁画(国宝)は2007(平成19)年に墳丘から取り出され、現在は仮設修理施設で保存・修理が進められています。
修理・保存作業は10年間の予定で実施され、修理完成後はもとの古墳(カビ防止対策済)に戻される予定となっており、今年は10年目に当たりますが、修理・保存作業はまだ続くようです。文化庁では2008(平成20)年から毎年この修理作業室を公開しており、今回で17回目を迎えました。
国営飛鳥歴史公園館前の受付に参加症を提示して、「第2班」と書かれた名札を首にぶら下げます。近くの会議室のような部屋で高松塚古墳のスライドショーを見ながら待ちます。定刻になると係員に16人が引率されて、国営飛鳥歴史公園館の裏にある作業室向かいます。
見学時間は10分、ガラス越しに作業室に並んだ石材を見学します。石材の上面に壁画が描かれているので、近くの壁画はかろうじて確認できますが、遠くの壁画はほとんど見えません。双眼鏡を持参したので、手前にあった「西壁女子群像」をつぶさに見ることができました。傷みがあるとはいえ、1300年前の極彩色の壁画に、感動のご対面でした。石材は当時の人が切り出したもの、これを石室に組み立て、内面に漆喰を塗り、狭い石室内で壁画を描いたようです。当時の技術力の高さに驚くととともに、匠たちの苦労が偲ばれました。
↓作業室の様子(パンフレットより)
↓石材の配置(パンフレットより)
↓「西壁女子群像」の描かれた石材(パンフレットより)
↓「西壁女子群像」の拡大図(ネットより)
高松塚古墳からキトラ古墳までは2km余り、キトラの見学まで2時間近くあったので、古代人を偲びながら、のんびりと歩いて移動しました。
↓高松塚古墳
↓文武天皇陵(天武天皇の孫にあたる)
高松塚古墳とキトラ古墳の中間地点に檜隈寺跡(於美阿志神社)があります。5世紀後半から6世紀にかけて、この地に朝鮮半島からの渡来人が多く移り住み、先進的な農法や農具、さらには灌漑技術を伝えたそうです。その中の有力者だった東漢(やまとのあや)が創建したのが檜隈寺であり、日本書紀にも記述があるそうです。
↓於美阿志神社(檜隈寺跡)
ここから先は、キトラ古墳周辺地区として整備され、昨年公開されたゾーンです。
↓「五穀の畑」は草ぼうぼうでした。(笑)
↓「キトラの田んぼ」も田植えの気配がない。(笑)
↓キトラ古墳の丘が見えてきました。
↓キトラ古墳壁画体験館「四神の館」
↓「四神の館」の石室模型
今回公開されたキトラ古墳壁画は東壁の青龍ですが、損傷が激しく、絵もほとんど見えない残念な壁画だったので、ご案内は差し控えます。
↓キトラ古墳
高松塚古墳もキトラ古墳も、いまだに被葬者が特定されていません。科学万能の時代ですが、「謎があるから古代ロマンなのだよ」と被葬者たちが語りかけているような気がしました。(*^^)v
高松塚古墳壁画(国宝)は2007(平成19)年に墳丘から取り出され、現在は仮設修理施設で保存・修理が進められています。
修理・保存作業は10年間の予定で実施され、修理完成後はもとの古墳(カビ防止対策済)に戻される予定となっており、今年は10年目に当たりますが、修理・保存作業はまだ続くようです。文化庁では2008(平成20)年から毎年この修理作業室を公開しており、今回で17回目を迎えました。
見学時間は10分、ガラス越しに作業室に並んだ石材を見学します。石材の上面に壁画が描かれているので、近くの壁画はかろうじて確認できますが、遠くの壁画はほとんど見えません。双眼鏡を持参したので、手前にあった「西壁女子群像」をつぶさに見ることができました。傷みがあるとはいえ、1300年前の極彩色の壁画に、感動のご対面でした。石材は当時の人が切り出したもの、これを石室に組み立て、内面に漆喰を塗り、狭い石室内で壁画を描いたようです。当時の技術力の高さに驚くととともに、匠たちの苦労が偲ばれました。
↓於美阿志神社(檜隈寺跡)
↓キトラ古墳
by kakashi_2015
| 2017-05-18 23:11
| 歴史・文化・芸術